4.毛玉と少年-5
*
「挨拶が遅れたな。私はビシュタルトという。はじめまして」
「はじめまして!」
食卓を囲む椅子の一つに促されるまま座った少年は、にっこりと笑う。その細い肩に乗ったもふもふという謎の毛玉生物は、今にも噛み付きそうな目でこちらを睨みつけていた。
その毛玉を同じような目つきで睨みつけるケモノが唸って威嚇する以外、他のメンバーは大人しいものだった。ここはビシュタルトに任せるべきだと各々勘で感じ取った為か、それとも目の前のお好み焼きを平らげるのに忙しい為かは分からなかったが。
とにかく全てを任されるかたちになったビシュタルトは、うむ、と頷いてティーカップを傾ける。
「まずはじめに訊いておきたいのだが」
「はい」
彼の正面に座る少年は出された食事に手をつけることもなく、ただにこにこと頷いた。
「どうして君のようなものがたった一人でこのような場所にいるのだね?」
(?)
ジャッシュは一瞬質問の意味を図り損ねた。今の言い方だと、この少年が一人でこの場にいる、ということが大問題のように聞こえたのだ。
(一体どういう…じじぃは何を訊いてるんだ…?)
考えかけて、はっと気づく。
ティアラよりも年下であろう子供がたった一人で森の中にいたのだ。当然の質問だ。
(そりゃおかしいよな…う〜ん、オレ最近深読みのしすぎかな…)
もぐもぐとお好み焼きを食すジャッシュたちが見守る中、少年はビシュタルトの質問ににっこりと微笑んで即答した。
「知りません」
ビシュタルトの片眉が一瞬だけ、微妙に上がった。
「知らないって…」
ティアラが箸を握ったまま目を瞬かせる。
「ええと…お一人っきりっていう理由を、ですか?それともここにいるって方の理由ですか?」
「どちらも!」
打てば響くようなきっぱりとした返事に、しばし場に沈黙が訪れた。
「ええっと…」
何か言うべきかと思い、苦労性のジャッシュが口を開く。
「も…もともとは一人じゃないだろ?何人いたんだ?その…家族とか、いるはず、だよ、なぁ…?」
少年は綺麗な笑顔を浮かべたまま、言った。
「知りません」
さすがに全員の表情が固まった。今の質問に“知らない”という答えはおかしすぎる。
とぼけているのかとも思ったが、何かを隠すために黙秘しているようにも見えない。
「…ふむ」
ビシュタルトが一つ頷いた。真顔で尋ねる。
「ときに、訊いてもよいかね?―君の名は?」
「知りません」
微笑む少年に、ビシュタルト以外の全員が息を呑む。
「では、その肩に乗っている生物の名は?」
「知りません」
「もふもふ、と呼んでいたように思えたが」
「もふもふしてるからそう呼んでいるだけです。もふもふもそれでいいよ、って。本当の名前は知らないです」
「ふむ…では君の出身は?」
「知りません」
「あのなぁ!」
ついにメルカードが痺れを切らして机を叩いた。メルの前にある空になった皿が派手に音を立てる。
「知らない知らないってお前のことなのに知らないわけねぇだろ!もっとマジメに答えろよ!!オトナをからかうんじゃねぇ!!」
(え〜と…)
この場合のオトナというのは誰のことを示すのか。とりあえず口元ソースまみれで叫ぶケモノ本人だけはその対象には入れたくない、とジャッシュは本気で思った。
「おいケモノ…」
とにかくこいつが出てくると進む話も進まないので、ジャッシュはストックしてあったおかわり用のお好み焼きを与えてメルを黙らせようとした。が、その皿を差し出そうとした瞬間、ごう、と炎の帯が部屋を走った。
「「うわぁっ!?」」
毛玉の吐いた炎を、その標的となったメルカードは間一髪で避けた。しかしジャッシュから受け取ろうとしていた皿は避けきれず、乗っていたお好み焼きごと灰と化す。
「―――このトウガラシがぁっ!!」
「だからなんでトウガラシなんだよ…」
ジャッシュが呆れてため息を吐くと、ティアラが青ざめて叫んだ。
「あぁっ!!ジャッシュさん!壁、壁が!!」
「へっ?壁?…うわああぁぁっ!!」
「…燃えているな」
「冷静にお好み焼き食ってないで何とかして下さいよねぇさんっ!!つーかあんたさっき6人分の焼きそばをじじぃと二人で平らげたのにまだ食うんですか!!ってうわ、そんなことより水っ水―――っ!!」
ばちばちと火花を散らしてにらみ合うメルカードと毛玉生物、とばっちりでの食堂火災の消火にパニックになるジャッシュたちの様子を見ながら、その毛玉生物を肩に乗せたまま、少年は慌てることもなく、くすくすと笑う。
「火が出たね!」
「笑い事じゃねぇよっ!!」
水差しの水をぶちまけてなんとか消火に成功したジャッシュが叫んだ瞬間、毛玉がぎろりとこちらを振り返った。その目が“なんならこの船ごと灰にしてやろうか…?”と言っている(気がする)。
(…つっこみすら許されねぇのかよ…)
「…ふむ」
しばらく難しい顔をして(今の騒ぎにはちゃっかりと関らずに)何事かを考え込んでいたビシュタルトが髭をなでながら一つ頷いた。
「まさかこんな形でお目にかかるとは思ってもみなかったがこれも何かの縁か…もふもふ君」
じじぃの呼びかけに凶悪な毛玉がじろりとターゲットを移す。
「私の知識が正しければ、君たちが本来いる場所はここではないだろう。旅をしているにしても、守護者が君しかいないというのは妙だ。忍び旅か?どこか目的地はあるのか?」
毛玉はその問いに沈黙した。ジャッシュたちもその質問の意味がよく掴めなかったので黙っていた。少年もやはり意味が分かっているのかいないのか、先ほどと変わらぬ表情でにこにこと笑っている。
「特に目的地もないなら一つ提案があるのだが」
毛玉の沈黙を否定ととったらしく、ビシュタルトは続けた。
「私たちはこの船で旅をしている。移動は楽な上に、寝る場所にも困らない。ちゃんと屋根も壁も布団もある場所で眠れる」
毛玉生物はじいっ、と黙ったまま聞いている。
「ついでに食事はうまいし、何もしなくとも時間になれば出てくる。家事などは全て、その冴えない男がやってくれる」
「だから当番制だって言ってんだろうが、じじぃっ!!」
ジャッシュの叫びを無視し、ビシュタルトは他のメンツを見渡すように示した。
「何よりも強者揃いだ。それは君自身さっき分かってくれたと思う。安全性はこの世界でもトップクラスだろうと私は思う。安心していい」
「おう!まかせとけっ!!」
おそらく最も状況を把握していないだろうヴァルロスが、その鎧の胸をガションと叩く。
(…つーか、じじぃは何を言おうとしてるんだ…?)
ジャッシュは話の先が読めなくて混乱していた。
…いや、違う。話の先が読めるような気がして、混乱していた。
(なんか…これって…勧誘のセールストークみたいな…?)
「どうかね?君たちさえ良ければ我々と共に来てはどうだろう。悪い条件ではないと思うが」
「やっぱり―――っ!!」
ジャッシュは思わず叫んで立ち上がると、机に手を突いた。
「ちょっとじーさんっ!!」
「何だ?」
「何だ、じゃねぇよ!!何勝手に」
「困った時はお互い様だろう?」
「いや、別に困ってなさそうじゃん、あの子っ!!」
ジャッシュがびしっと指差した先で、少年は相変らずにこにこ微笑んでいる。花が飛んでそうなそのオーラは、困るの“こ”の字も感じられない。
「それにオレたち王国に追われてるんだぜっ!!巻き込んだらかわいそうだろうが!!」
言った瞬間、いきなり硬いものに力一杯抱きしめられた。
「ああ〜!あいかわらずいい奴だなぁ、ジャッシュ…っ!!」
「ぐわああぁっ、親分、鎧カタイ、イタイ、力入れすぎ…っ!!」
ジャッシュの苦悶の声に、ティアラのぽつりとした呟きが混じった。
「お…王国に追われているんですか、ジャッシュさんたち…」
(そうか、嬢ちゃん知らんかったっけ…!あ、親分も!!)
ジャッシュはどう説明するべきか、と悩みかけて、思いついた。
(そうだ…!これでオレたちの事情を説明すれば、嬢ちゃんも一緒に来るって言わなくなって村に帰ってくれるかも!!そうしたら自動的に親分も…!)
「あ、あぁ…実はオレたち王国に追われてるんだ…」
しかしジャッシュの沈痛な声は、親分の馬鹿笑いにかき消された。
「ああ!そーいやぁ聞いたなぁっ!ジャッシュ指名手配されてるんだよなっ!!」
「な…なんで親分知ってるんですか!?」
「手配書見た!」
あっけらかんと言うヴァルロスにジャッシュは青ざめる。
「え…手配書…シャイルスにも貼られてたんですか…?」
「おう!マルスが八百屋でもらってきてたぞっ!!」
マルス、というのはヴァルロス一家の一員で、ジャッシュの兄貴分の内の一人だ。
「…てことは…知ってるのは親分だけじゃなくて…メリッサさんたちも…?」
「おうっ!もちろんみんな知ってるぞっ!!」
(うわ〜…オレもうみんなと会わせる顔がねぇ…っ!!)
へこむジャッシュとは対称的にヴァルロスがお好み焼きをかじりながら明るい声で言う。
「でもジャッシュはすげぇよなっ!!船出てってからほんの数日で指名手配だろ!?密輸商人冥利につきるよなっ!!」
「つきませんよっ!!」
「しかし彼の罪状は密輸ではなく誘拐だが」
さらりといったビシュタルトに、ティアラが不安げな声をあげる。
「ええ…っ?ゆ、誘拐って…ジャッシュさん、どなたかを誘拐したんですか!?」
「うむ。私をな」
ティーカップを優雅に傾けながらきっぱりと言ったじじぃに、ティアラは鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をした。
「は…?え…えっと…はかせを…ですか?」
「うむ。考えてみれば私は今まさに誘拐され中ということなのだが」
はかせ、の言葉に若干にんまりとしながら、ビシュタルトは頷く。
「しかしそれは誤解というものだ。彼らは悪ではない。むしろ正義。悪は王国の方なのだ」
「そうそう、オレもジャッシュが誘拐っておかしいな〜って思ってたんだよな!なぁ、どういうことなんだ?」
ヴァルロスの問いに、ビシュタルトは微かに痛ましいそうな表情を見せた。
「王国はこの私の天才的な頭脳を悪用しようと、私を追ってきているのだ。その魔の手から逃げているときにちょうど出会ったジャッシュとメルカードが、私を救ってくれた。ただそれだけなのだ。彼らの指名手配は私を追おうとしてのものだろう。そう、彼らは悪くない…敢えて言うなら私のこの天才的な頭脳が悪いといおうか…!」
「やっぱりそうか―――っ!!うんうん、そんなことだろうと思ったんだよなーっ!!」
(うわ…親分すげぇ…!じじぃのトリップを軽く流した…っ!!)
「そういうことだ。彼らは悪ではない。王国が悪なのだ」
(うわぁ…じじぃもすげぇ…!流されたことをさらに平気で流した…!!)
どちらも素で、全く悪意が感じられなかったことに、ジャッシュはさらに二人が並の感性の持ち主ではないことを思い知った。
「お嬢さんも分かってもらえたかな?」
「はい…っ!!やっぱりジャッシュさんたちはいい人たちなんですねっ!!」
ビシュタルトの説明に、感動したような面持ちで頷く少女に、ジャッシュはおそるおそる尋ねる。
「あ、あのさティアラちゃん…まぁ…オレたちが悪とか正義とかは置いておいて、追われてることには変わりないんだけど…それでもついて来る気?村に戻った方が危なくなくていいと思うよ?ティアラちゃんのためにも」
「いえっ!私も正義のために戦いますっ!!」
「………」
もともとやる気満々だったが、さらに手に負えないほどやる気に満ち溢れてしまったらしい少女に、ジャッシュは不覚にもそれ以上何も言えなかった。