3.空の島の召喚士-8
本来、召喚術の初心者が召喚するときは、魔法陣などの補助があるほうが好ましい。だが、そうは言ってられないので、とりあえず、急遽、その辺のテーブルをちょっとだけ避けて、隙間をつくった。
指示をしたのは、ビシュタルトだが、果たして彼がどこまで本気なのかは外からは計り知れない。少しだけ不安なジャッシュである。大体、屋根の下で、そんな得体の知れないものを呼びだしていいのだろうか。下手したらこの建物吹っ飛ぶのではないだろうか。
さすがに気になるのか、やる気のないミメリスも、ティアラの方に注意を向けていた。だが、たとえ、屋敷が吹っ飛ぼうが、当のミメリスは気に留めそうにないので、ジャッシュがその辺のことを気にしても仕方がないだろう。ともあれ、信用できない男ではあるが、ビシュタルトを信じないとならないようだ。
「と、とりあえず、呼び出せばいいんですね」
不安そうに訊くティアラに、ビシュタルトは頷いた。
「そうだな、だが、できるだけ人型のものだな。人間らしい形を持つ奴の方が、言語を理解してくれる可能性が高い。人語を理解する獣もいるが、暴走されると厄介だからな」
そりゃ、外で暴れる魔物を増やされたら困る。ちらりと視線を投げた向こうでは、機敏な動きのランスロットが、今度は二匹を相手にして戦っていた。あれこれ不安になるので、ジャッシュはすぐさまティアラの方に目を戻した。
「人型ですか?」
「そうだな、人の形をしてれば、この際何でもいいかもしれん」
「うわっ、適当だな」
ジャッシュは、苦い表情を浮かべる。ビシュタルトは相変わらず、冷淡な無表情だが、本当のことをいっているのだろうか。どうも疑ってしまいそうだ。
「と、とにかく、人ですね。で、でも、呼び出せるでしょうか?」
ちらと、ティアラはミメリスに目をやった。意見を求められているらしいことを、三秒ぐらい遅れてから悟ったミメリスは、うーん、と唸る。
「……まあ、運がよかったらいけるんじゃない?」
「最後まで、適当な人だな……」
あまりな返答に呆れると、ビシュタルトが静かに言った。
「その女は変わっているのだ」
「視界の邪魔男が何を言うのよ」
ミメリスは、言われた内容より、ビシュタルトが目の前に立っているのが不満らしく、やや顔をしかめている。ジャッシュは、とりあえず、不可解なところの多い年長者を無視して、ティアラに言った。
「とと、とにかく、落ち着いてやれば大丈夫だって」
「そうですか。ありがとう! やってみます!」
ティアラはそういって深く頷いた。何かが始まる気配に、ジャッシュは、少し後退する。
精神を集中し、ティアラは、短い杖を握った。魔力的な補助を与えるそれは、未熟な彼女にとっては、魔力の補助だけでなく、精神的に自信をつけさせる小道具である。
すうっと息を吸い込み、何か唱えようとして、ティアラは、はたと止まった。困惑気味な様子に、ジャッシュは何事かと思い、駆け寄った方がよいのかと迷ったが、その時、彼女の小声が耳に入ってしまった。
「え、ええと、呪文ってどれだったかなあ……」
(うわっ、……最初からものすごく不安だ……)
まさかここまで不安な子だと思っていなかった。ジャッシュは、ちらりと横にいるビシュタルトとミメリスを覗くが、二人は無表情だった。嫌なところで似ている二人である。動じないというべきか、無神経と言うべきか。いつのまにやら、あのカラットとかいう青年もいなくなっている。もしかして、逃げたのだろうか。
(……オレ、生きて帰れるのかな……)
不安は、とにかくつきない。
と、ティアラは、何かを思い出したらしく、ぱあっと顔を明るくした。対称的に青ざめているジャッシュなどに気がつくはずもなく、ティアラは微笑むと、再び軽く息を吸い込んだ。
「異界に息づく者達よ……」
だったっけ、と小声で入った気がするが、ティアラは、ぶつぶつと何かを唱え始めた。正確には、召喚は、どちらかというと心で呼びかけるものなので、呪文自体はそれほど重要ではない。初心者は、声に出さないと相手に念じることができないだけである。
「えいっ!」
一通り、唱えきると、ティアラはステッキを振った。ぱん、と破裂音がして、床に光が灯る。その光が縦や横に何筋も走り出し、紋様をつくっていくのだが――。
その前に、きらりとティアラの首飾りが一瞬、まばゆく輝いたようにジャッシュには見えた。それは一瞬のことで、もう一度見たときには、何もない。反射だろうと思ったが、それにしても不思議な光だ。
「あ、あれ?」
走り出した光が、いつもと違うらしく、ティアラは目を見張った。
「えっ、あの、ちょっと……」
ティアラが明らかに焦っているのがわかる。それはそうだ。いつもと、明らかに違う状態なのだから。勝手に地上を走る青白い光は、縦横無尽に飛び回り、いつの間にか、複雑な幾何学紋様を描き出していた。それは、彼女の意図したものでなく、また、彼女が今まで見た魔法陣とも違った。
た、た、た、と音を立てて走る青い光は、とうとう図形を描ききって止まる。ぼんやりと光を放つそれから、今度はすごい勢いで煙が吹き出してきた。ぐわりと吹き出す煙に、ティアラは驚いて声を飲む。
と、光が一瞬激しくなり、魔法陣の中央から何か細い煙のようなものが、少しずつ色づきながら現れた。ティアラの背後にたつようなソレは、ビシュタルトが言ったような、人の姿をしたものではあるようだ。
かすかに見える幽霊のようなそれは、武装した人間のように見えた。顔立ちなどはよくわからない。
『呼び出す者に祝福を……。望みがあるならば、望みを……』
ふと、男の声が聞こえた。
「え、ええと……」
人型を呼び出したのは初めてなので、ティアラはそれが形式的な常套句であることがわからない。戸惑っていると、声が続けた。
『召喚士ならば、用向きを。……契約か、それとも……』
声が反響しているし、相手が幽霊みたいなものなので、あまり気に留めなかったが、ジャッシュは、そろそろ何かに気づいた。今の声、言うことがまじめなのですぐにはわからないが、どこかで聞いたことがあるような……。
『あ!』
いきなり鋭い声が飛び、ジャッシュはびくりとした。そして、今度は、ききたくもない明るい声が響き渡った。
『あれ? 誰かと思ったら、そこにいんのジャッシュじゃねーか』
いきなり響き渡った楽観的な声に、ジャッシュは文字通りひっくり返りそうなほどに驚いた。というのは、ティアラの頭の上辺りを飛んでいる幽霊のようなものがいきなり、親しげに口をきいたからだ。
『おお! 連絡ないから心配してたけど、立派にいきてるじゃねえか! だから、メリッサは甘やかしすぎだって言ったんだよなあ!』
声は反響しているし、本人の格好もえらく時代がかった鎧兜で、顔ははっきり見えないのだが、もはや見間違えようもない。というより、見間違えたい。大方、ろくな人間ではないとは思っていたが、人間でもなかったとは――。
「や、やっぱり、ヴァ、ヴァルロス親分……」
ジャッシュは、これが悪い夢であってくれれば、と思った。
光がおさまり、幽霊のように透けていた見慣れぬ格好のヴァルロスは、すたんと床に降り立った。
「な、何で、親分が出てくるの?」
「潜在的な魔力を持つ人間が、召喚士の失敗によって呼び出されることは良くある話だ。まあ、呼び出された方からすれば、ほとんど神隠しだが」
いきなり、後ろにいたらしいビシュタルトが言ったので、ジャッシュはびくっとする。
「あんたいつの間に後ろに」
「今の間に。だが、アレは、そういうのではないぞ」
「はっ?」
ビシュタルトのふざけた態度よりも、彼のいった内容の方が気になった。
「ど、どういうことだ?」
「剣聖と歌われたジェライアン=ヴァルロスだな。かつて、あちこちの戦場を渡り歩き、剣技をもて英雄となった男だが、ひょんなことから人間としての枠を飛び越えてしまい、すっかりあっちの世界の住人へ。以後、異界で召喚待ちをしていたが、三十年前に呼び出されたっきり、姿をけしたとかなんとか。本ではそうなっていた。とりあえず、その気さくさとずば抜けた破壊力で、召喚士が契約すれば最も恐ろしいと言われている者の一人ではあるらしい」
「うわっ、……嫌なことを聞いちゃった気がする……」
というより、やはり人間超えちゃったんですね、親分。
ジャッシュの小さい頃から、しわ一つ増えないし、体力も衰えないのでおかしいと思っていたが、ここまでおかしいと思わなかった。そう思うと、同じく顔の変わらない、下手すると自分より年下に見えるメリッサにも危ない秘密が。
そこまで考えてジャッシュは首を振った。メリッサの先程の恐怖を思い出したのと同時に、何か頭の隅で本能的な恐怖を感じたのだ。アレに関わってはならない。とにかくならない。
「ああ! ひどいっ! オレが折角名乗ろうと思ったのに〜!」
セリフを取られたので、ヴァルロスは大声でビシュタルトを非難した。
「ほら、そうだろう」
「ほらって……」
いきなりのことに、口をぱくぱくさせ気味のジャッシュに、ヴァルロスは兜のままにかっと笑った。正直、青銅色の鎧兜に、青いマントはあまり見慣れない。ヴァルロスはもっと明るい色の服を着ていることが多かった。兜の上の薄水色の羽飾りが何となく今のジャッシュには、妙に腹立たしかった。
「おお、今回オレを呼び出してくれたのは、お嬢ちゃんだなっ!」
ヴァルロスは、ティアラの方にようやく気づいたのか、いきなりデリカシーのない大声で断定するように尋ねた。ほとんど質問の意味はない。
「え、あ、はいっ。多分」
「そうか〜! 今度の主人はかわいいんだなあ!」
前の主人は、だったらどうだったんだ。と思ったが、ジャッシュは口にしなかった。かわいいもの好きのヴァルロスだが、彼は大概のものをかわいいというので、あんまり基準がよくわからない。ティアラがかわいらしいのは本当だが、それとしても、女の子としてかわいいというより、猫のマリアンがかわいいのと同じレベルでいっているのかもしれない。いや、恐らくそうに違いない。
「いや〜、たすかった! はっは。一時はどうなることかと。いやあ、忘れてた〜。契約してないから、俺ってああいう魔法のアイテムの攻撃うけると、衝撃でとんでっちゃうんだったわ〜。まさか、あそこでアレが出てくると思わなかったんだよな〜」
明るくいう武装した大男でやくざの親分は、外で行われている戦いなどに気づいているのだろうか。彼は、陽気にべらべらと続けた。
「いや、自力で人間界へ戻れないこともないんだけど、俺が自力で出ていこうとしたら十年ぐらいかかっちゃうからさあ。呼び出してくれてありがとうっ!」
「は、はい……」
いきなり握手され、ティアラはきょとんとしていた。ぼーっとしている彼女でも、今までこういう召喚をしたことはないし、召喚した相手がこんなにフランクに喋ることもなかったのでびっくりしたのだ。
「あ、で、契約どうしようかなあ。オレと契約する?」
大して重大なことでもなさそうに、彼がそう切り出したとき、ふと、ぽつりと声が聞こえた。
「視界の邪魔が増えた」
それはぼそりとしたものだったが、その声が耳に入ったらしく、ヴァルロスは飛び上がった。
「うわっ! あんた、まだいたのかあっ!」
「勝手に視界に入ってきたのはあんた」
冷たくやや不快にいうミメリス=ハルドーラの顔を見て、ヴァルロスは表情を引きつらせた。
「ええ! お知り合い……ですか?」
ミメリスとヴァルロスを交互に見やりながら、ジャッシュは呆然と訊いた。
「そうだ、この女が、オレを呼び出したのに契約してくれなかったから〜! しかも、だったら帰してくれてもいいのに、帰してくれもしなかったから、オレはとりあえず三十年ほどこの世界をさまようことにしたんだ!」
「だって、でかい男嫌いだもん」
ミメリスは相変わらず平気そうに酷いことをいう。ジャッシュは苦笑した。
「あ、あの〜三十年間あの街を支配していたのは、そういう理由ですか、親分……。行き場がなかったので、何となく?」
こんなところで、顔の変わらないヴァルロスの過去が明かされようとは思わなかった。しかも、ヴァルロスまで、この冷徹な女の被害者だったとは……。ジャッシュはそうっと、胸の内でこう思った。
(迷惑な人ですが……今回だけは同情しますぜ、親分)
すげなく言われ、何となくひるみつつヴァルロスが何か言い返そうと口を開いた時、ふいにとんでもない音が鳴り響く。さすがのヴァルロスも気になって外を覗いてみる。その視線の先を炎の巨大な弾が通り過ぎていった。
「あら〜、なんだ、あれ」
「あわわ、親分のことで忘れてた!」
ジャッシュは、そうっと外を覗きやる。ダッと黒い影が飛び上がってきて、そのまま真横に飛びさる。銀色の髪が流れたのを見れば、誰かと思えばそれはランスロットらしい。と言うことは、と、ジャッシュが青くなったとき、巨大な何かの爪先のようなものが建物に迫ってくるのが見えた。だが、建物の外は、魔力の障壁によって守られている。それは建物を揺らすだけだった。
「ひいい、ランスロットの奴! オレ達がここにいるのを絶対忘れてる!」
ジャッシュは、その事実に気づいて愕然とした。あの性格から考えて、わざとこちらに誘導したこともないだろうし、かといって失敗したわけでもないのだろう。戦闘中の彼女にとって自分たちは、目に入っていないも同然なのだ。
「なあなあ、アレ何? 何おもしろそうなことやってんだ?」
一人、状況の把握というものを知らない男が、てくてくと歩いてきた。先程まで幽霊みたいに透けていた癖に、何故か今やすっかり足に地がついているあたり、よくわからないものだ。
「なあ、ジャッシュ、もしかしてアレ倒すのか?」
「オレに聞いても一生わからないと思います親分」
やる気があるなら、黙ってやって欲しい。普段は、結構尊敬するべき存在なのだが、先程あれから出てきてから、親分はすっかり精神を逆撫でする存在へと変わっている。いや、それは元からだったのだろうか。ここの所のある意味過激な生活で、ジャッシュは過去を美化していたのかもしれない。
そんなジャッシュの苦悩も知らず、リー=ヴァルロスであり、剣士ジェライアン=ヴァルロスであったらしい男は、ティアラの方に向かった。
「契約してもいいのかい?」
「は、はい! お願いします! でも、契約って……」
ティアラが不安そうにいうと、ヴァルロスは相変わらずな様子で快活にいった。
「なーに、オレ達の契約は簡単さ。お嬢ちゃんが同意するかどうかってだけで決まる。じゃあ、契約成立だな?」
ヴァルロスはあっさりした話の流れに満足して微笑んだ。
「オレはヴァルロスだ。あっちの世界での名前はジェライアン=ヴァルロスだったかな? あんたはマスターなので、オレをそう呼ぶ権利がある」
「あ、あたしはティアラです」
「そうか〜!」
ヴァルロスは、ティアラの頭をなでやり、あまりにも普段と変わらない笑みを兜の間からのぞかせた。
「よし! それじゃあ、マスター! 一体オレに何を望むんだい?」