1.アスライト大脱出
試運転も終わり、いよいよ船の船長として初仕事に向かったジャッシュは空の上にいた。雲が流れ去り、下には海や街、上には浮遊大陸が見える。今まで乗せてもらってばかりだったが、こうして自分で操縦しながら見る風景もなかなかのものだ。
「あ、そうだ!」
昼飯のおにぎりを食べながら、ジャッシュは不意に思い立った。
「そうだよな、親分には世話になったし、オレの仕事を見てもらうって意味でも、ここに写真を立てかけておこう!」
ジャッシュは、いつもは自分の机においていたリー=ヴァルロスの写真を荷物から取り出すと、ひょいと操縦席の上の方に、フックで駆けてみた。木造のフレームの中、かわいい物好きの大男が、凄まじくさわやかな笑顔でVサインをしている。モノクロ写真の中で、リー=ヴァルロスは、まるで戻らない幸せなあの日を再現しているようで…
「って…親分、無茶苦茶元気じゃないかよ!」
思わず勝手に感傷的な思い出に浸り込もうとしていたジャッシュは我に返った。
「なんか、親分の写真、ここにたてかけねーほうがよかったかな。なんか、すっげーゲン悪…」
これじゃ本当に戻らない日々の思い出のようだ。うーんと迷った末、とりあえず、ジャッシュは写真をかけたまま、しばらく結論を保留した。今度帰ったときに、親分本人に訊こう。
「おっと、まずい、行きすぎるところだった!」
地図を見たジャッシュは、慌ててそこで減速した。
「まずは、アスライトで野菜買ってかなきゃならんのだった。」
窓の外には小さな街がある。小さいながらそれなりに栄えたその街に、ジャッシュは寄るように親分に指示されていたのだった。
人人人、とにかく人だらけだ。
「うおー、すげー! こんなに人間っていたんだな! 噂には聞いていたが、こんなに群れてるなんて!」
メルカードはふさふさした尻尾をやや揺らしながら街を歩く。なかなか上機嫌なのだ。田舎育ちのメルカードは、このアスライトは、人間の街の中で行くとそう都会に入らないことを知らない。ただ、自分の育ったアッシュダリアよりも栄えていることだけはわかっている。
「すげー、ユーヤル村には、こんな市なかったぞ!」
いかにもお上りさんといった風に、きょろきょろして歩き回る獣人は、この地上ではかなり目立つ。おまけにガランタ族は、見かけは猫や犬によく似ていて、ふさふさした毛並みが印象的である。通りすがる女の子達から、思わず黄色い声があがることがあるのだ。
「きゃあ、かわいい!」
「かわいいわ!」
目の前の風景に気を取られていたメルカードは、不意にそちらに目を向けた。一瞬獣の目で睨まれて、少女達はびくりとする。メルカードは吼えるように言った。
「誰がかわいいだっ! オレは一人前の男だぞ!」
「な、何?」
「かわいいっていったこと撤回しろよ!」
謎の獣人にいきなり噛みつかれそうな顔で言われては、普通の人間なら多少の恐怖を感じるものである。少女達はきゃあきゃあ悲鳴をあげながら、向こうの方に走っていった。それを、不機嫌に見送りながら、メルカードは唸った。
「がるるるる…! くそっ、これだから女子ってやつは!」
若いメルカードは、これでも男のロマンに酔える年齢である。硬派を気取る彼には、かわいいと呼ばれる事自体が受け入れがたい侮辱なのであった。これがクールだとかかっこいいだとかなら、もしかしたら多少はでれっとしたかも知れない。メルカードは、難しいお年頃なのである。
「とにかく、まずはあの飛行機を修理しねえとなあ。機械屋を探すか。」
そう言って、メルカードは、人の多い商店街を走りはじめた。この小都市には、獣人が少ないのでかなり目立つのだが、彼はそんなことには気づいていない。
「なんだ、珍しいな。」
通りすがりながら、金髪の謎の紳士はそう呟いた。曲がったネクタイに片眼鏡。怪しげなトランクを抱えた彼は、走っていく獣人を眺めやりながら、なぜだか感傷的に言った。
「あれはガランタ族だな。奴らもこんなところまで来るようになったか。」
よくわからない感傷に浸りながら男、ビシュタルトはトランクを持って街を歩いていた。あれから二日、助けを待つまでもなく、ビシュタルトはこの港町にあっさりと漂着してしまったのである。折角用意していたボートも使えず、何となく不満はあるが、ついてしまったものは仕方がない。ひとまず空港に向かうべく、ビシュタルトは、この街で長距離バスに乗る予定だった。
と、ふと彼の前に、武装した男達が見えた。彼らは鎧に身を包み、そして腕章を身につけている。赤いマントを身につけていることからも、それ相応の身分の者であることは一目瞭然だ。そのせいで、ビシュタルトが立ち止まったとき、他の人々は、彼らと関わり合いになるのを避けて、早足に道を去っていった。
その隊長らしいものが、進み出てビシュタルトに言った。厳つい顔のなかなか強そうな男である。
「大魔導師グラント=ビシュタルト子爵ですな。」
「私は科学者だ。博士と呼んでもらおう。」
ビシュタルトは、即応えたが、相変わらずのテンションなので、怒っているのか不機嫌なのかもよくわからない。
「これは失礼した。しかし、ビシュタルト子爵であることは間違いありませんな?」
「まあ、違うということはないな。」
ビシュタルトは嫌に遠回しないい方をしたが、別に何か思惑があってのことではない。
「それならば、即来ていただきたい。あなたの力をお借りしたい。」
「何の用があってのことかな? 私は、今忙しいのでそれどころではないのだが。」
ビシュタルトはとにかくルーフィサリアの合宿に混じりたい気持ちでいっぱいなのだった。相手がなんであろうが、こんなところで仕事に誘われたくなどなかった。だが、何となく相手は不穏である。いくら俗世離れしているビシュタルトでも、剣をもった相手には相当気を遣って話をしなければならないことぐらいはわかっている。
「話によってはそれは都合もつけるが、今すぐというのはまず無理だな。」
「そうおっしゃらず、今すぐ来ていただきたい。」
隊長も強情である。ビシュタルトは、むむ、と唸った。
「一体何のようだ? それを明確にしてもらわねば、私としても引き受けかねるがな。」
「では、かいつまんでお話ししましょう。」
隊長は、左右を見た。騎士達の異様な雰囲気を嫌って、人気はなくなっている。隊長は小声で、彼に言った。
「クリスティア・クリスタルをご存じか?」
「もちろん。浮遊大陸クリスティアから取り出したという魔力水晶の事だろう。それぞれが特別な力をもっているという。もっとも力の強い水晶は、その力の強さから五つに分けられ、秘密の祈りにより元に戻るといわれている。半分は言い伝えだな。」
自分では認めていなくてもビシュタルトは大魔導師である。そのぐらい知らない方がおかしい。
「近頃、王国がそれを回収し、その有効な利用法を発見したのです。しかし、その時になってクリスタルの一つだけがどうしても見つからず困っているのです。ご存じありませぬか?」
「いや、それは知らないが…む、まさか。それを使う気なのかね?」
ビシュタルトはさすがに普段妙に物憂げなとろーんとした目つきを少し変えた。
「もう、おわかりでしょう。子爵。あなたの力とその知恵で、我々に残りの水晶を探し、その秘密の祭祀を司る者を見つけて欲しいとの国王陛下の仰せで…」
「な、なんだと!」
ビシュタルトは、一瞬ショックを受けたらしく、ふらっと足下がふらついた。さすがに老齢なのだろうか、と騎士達は不安になったが、ビシュタルトのふらつきは精神的なものである。
(ととと、とうとう、とうとう来てしまったのだな! 朝からの不吉な予感はこのためだったのか!)
水晶の力が強いのは、魔術師の世界では有名な話だ。そんな力を手に入れて、何をするのかということはおおよそ予想がつく。
つまりは、「世界征服」という奴を狙っているに違いないのだった。そして、彼らはその世界征服のために、自分の天才的頭脳を必要としているに違いない、とビシュタルトは勝手に一人で確信した。
ビシュタルトは、やや青ざめた顔をびしっと騎士達に向けた。
「お前達の言うことに従うわけにはいかん! 私は三枚おろしマシーンを売り込まねばならんのだあ!! 悪事の手助けは出来ない!」
「はっ? いや、子爵それ…」
面食らう騎士達に目もくれず、ビシュタルトは油の匂いのするコートをばさりと翻した。
「さらばっ!」
そういうとビシュタルトは重そうなトランクを持ったまま、身を翻した。だだだだだと走り込んでいく。そのスピードが思ったよりも速いので、騎士達は慌てて追いかけだした。しかし、ビシュタルトの背中はどんどん遠ざかっていく。
「なんで、大魔導師の爺さんがあんなに足が速いんですか!」
「しらん! 本人に聞け!」
叫びかえし、隊長達は必死にビシュタルトに追いすがる。ビシュタルトの方も、自分の頭脳がかかっていると思いこんでいるので必死なのだった。
(と、とうとう来てしまった!)
ビシュタルトは、珍しく動揺しながら猛ダッシュで逃げ出した。
(いつか来るとは思っていたのだが、まさかこんなに早くに!)
「し、子爵! お待ち下さい、子爵ッ!」
(…来てしまった! 世界のどこかにある悪の秘密結社が、私の天才的頭脳を欲している! 危険だ!)
ビシュタルトはそんな勘違いをしながら、とにかく走り続ける。
「世界が私の頭脳に追いつこうとしているのか! いかん、世界征服には手は貸せない! なぜなら、私は平和的な科学者だから!」
ひた走るビシュタルトの後ろから、騎士も追ってくる。相手も職業軍人だ。鎧が重くても、足はなかなか早い。
「しつこい奴らだ! こうなったらあの秘密兵器を使うぞ!」
ビシュタルトは唸り、それからすっと頭の上に片手をかざし、口の中で何かぶつぶつと呟く。そして、一気に手を振った。
「物体転送装置始動!」
彼がそう叫ぶと、不意に彼の身体がフッとぶれた。走り続けながら、彼の姿は見えなくなってしまう。目標を失って、隊長が立ち止まった。
「しまった! くそっ! 魔法を使ったな!」
「えっ、隊長、今本人は兵器だとかどうのこうの…」
「あれが科学なはずがないだろうが! 立派に魔法だ! さすが、大魔導師グラント=ビシュタルト! 瞬間移動魔法をああも簡単に使うとは!」
隊長の感心に、部下達も彼が本当に大魔導師だったらしいことをようやく悟って唸った。瞬間移動魔法は、魔法の中でも特に難しい魔法なのである。それをいとも簡単に一瞬で使えることからその才能がうかがえる。
「やはり、腐っても大魔導師だな。油断するな! 手分けして街中を探せ! あの程度の瞬間移動魔法では、遠くまでいけないはずだ!」
隊長は怒号をとばした。騎士達は、赤いマントを翻し、街の中に飛んでいく。ビシュタルトは、それを屋根の上で見つめながら、さっさと空港に逃げなければと考えていた。