プロローグ
メルカード=サルード
からからから、とプロペラが空回りしている。
「畜生! ここまでかッ!」
雲の中、がたがたいう複葉機と戦っている獣人は、そういって操縦桿をたたいた。
銀色に近い白色の毛並みに、犬とも猫ともつかぬ顔立ち。顔も毛で覆われ、寒さよけに巻いたバンダナからは、大きな耳が飛び出ている。その容貌から察するに、浮遊大陸にいるという獣人の一族でも、特に白い毛並みを持つというガランタ族に違いない。しかも、まだ若いらしい。獣人の年齢は、慣れた者でなければわからないが、この男はわかりやすいほうだ。
緑色がちらりと混じる金色の瞳をまっすぐに向けて、彼は気流の中、操縦不能の機体を操ろうと必死だ。空は快晴、風もそう強くはなかった。なのに、この飛行機がこんな状態になったのは、間違いなく設計ミスのせいだ。なにせ、この機体は、彼がつくったのだから。 「ええい! この誇り高いガランタのメルカードが、こんなところで終わってたまるか! オレは、ガランタ一の英雄になる予定の男なんだ!」
ばん、と彼は操縦席をたたいた。メルカードは熱い目で、自分の愛機を見た。獣人は感情が高ぶると、しっぽや耳、ひげなどにその感情が表現される。メルカードの耳は、この時少し伏せられていて、びりびりとした緊迫した気持ちが、そこにも見えていた。
メルカードは、一抹の希望を込めて、自分の作った愛機を見る。
(これは、オレの作った機体だ。…だったら大丈夫! オレの気持ちが通じるはず!)
ぐっと操縦桿に力を込め、彼は叫ぶ。
「オレの気持ちがわかるなら、蘇ってくれ! オレの翼!」
と、その時止まりかけていたエンジンが、急に回転し始めた。
「おお! さすがオレの翼!」
浮き上がる機体に、メルカードは安心する。そして、少しにやりとする。そのまま操縦桿をおもいっきり倒した。
だが、現実はあまくはなかった。メルカードの目が、本当に点になってしまうようなそう言う事態が起こったのだ。急に握っていた手の感覚が恐ろしいほど軽くなったのだ。
「あれ?」
すぽっと言う音とともに、操縦桿がとうとう抜けた。
「ええっ! ちょ、ちょっ、待ってくれ! ふつー、ここでオレと愛機の友情とかそういうつながりで頑張ってくれるんじゃねえのかよ……。」
ががが、がたん、と不吉な音が鳴り、急に機体が斜めになった。所詮機械は機械だ。
「うわっ! まじかよ!」
体勢を立て直そうにも、すでに操縦桿は、はずれている。そのまま、飛行機は徐々に青い海に近づいていく。
「ちきしょー! 裏切りものめ! クライマックスぐらい威勢よくどかーんといきやがれ! むしろ、吹っ飛べ、裏切り者!」
やけ気味にそう叫ぶメルカードと彼の翼は、叫びながら真っ逆様に海の方へ流れていった。
この世界には、大陸と浮遊大陸が存在する。両方に長い間交流はなかったらしいが、時々凄まじい力を持った魔術師が、上の大陸から下の大地を訪れ、様々な奇跡を行ったと言われている。だから、お互い、その存在は知っていた。
本格的に交流が始まったのは、下の大地で飛行船が開発されてからである。彼らは浮遊大陸と大地を行き来し、お互いの必要な品物を交換していった。
浮遊大陸はいくつもあり、中には離れ小島のものもある。よほどくっついている大陸同士は、お互い協力して橋が架かったりして、交流していたが、そうでもなければお互いの干渉はない。だから、浮遊大陸同士が、交流するのもまた、飛行船の発展を待たねばならないのだった。
メルカードは、アッシュダリア大陸にすむガランタ族の青年である。年は今年で十八歳。アッシュダリアは、特に他の大陸とは離れているので、それでおそらく独自の種族である獣人が栄えたのだろう。現在は、彼らと下の大陸との間で盛んな交易が行われている。
飛行技術は全て下の産物で、上の大陸ではまだあまり製造されていない。もちろん、このアッシュダリアにも、下の人間が営む修理工場があるくらいだ。特にメルカードがいた田舎には、それすらもない。
メルカードには空へのあこがれがあった。飛行技術ができるまでお互いの大陸の交渉はないといったが、実は一つだけ例外がある。それは獣人の中にも翼を持つ連中がいると言うことだ。中にはいわゆるドラゴンに近い羽の者達もいるし、鳥の血が流れている獣人たちもいある。ガランタ族である彼らには翼はないが、獣人である彼らは、近くから飛んでくるそうした別の部族の獣人達の存在を知っていた。そして、うらやましくも思っていたのである。
なぜなら、空を自由に飛びたいという願いは誰しも持つ者である。そして、彼には実行力があった。
「よーっしゃ、オレはこれで飛ぶぜ!」
ある日、メルカードは、村の若者達を集めてそう宣言した。彼がさっと布を取っ払うとそこには、古い部品を集めて作ったがらくたのような飛行機が、つぎはぎだらけで作られている。
「メ、メル、お前正気か?」
「ああ! これこそが、オレの翼! サルード一号だ。」
ちなみにサルードは、メルカードの姓である。彼は目の前のがらくたにぽんと手を置いた。
「ふふ、これで自由に空を飛んでやるぜえっ!」
「メル…、やっぱやめとこうぜ。危険だよ。」
危機感を感じた青年が言った。
「そうだぜ。こんなんで飛んだら絶対やばいって!」
「何いやがる! 危険ってのは、男のロマンには不可欠だ!」
「死んだらロマンもへったくれもねえよ。」
「アホがーっ! ロマンは死の危険を冒してこそ、初めて生まれるもんじゃねえか! おまえらは、ロマンの神髄をわかってねえ!」
青年達はそれをあきれた顔で見やったが、メルカードの演説は尽きない。
「オレ達は勇敢なるガランタの戦士! これぐらいで怯えているようじゃ話にならねえ!」
「……そりゃそうだが……怯える対象ってのも問題じゃ…」
「あーっ! むかつく! もういい! オレは明日これで鳥になるんだ! 見てやがれ! オレは一番最初に飛んだガランタになってやる!」
そういうとメルカードは怒りにまかせて、ざっときびすを返して去ってしまった。残された青年達は顔を見合わせる。いずれも白い毛並みを持つ獣人である彼らは、とまどった顔で苦笑いし合った。
「メルの奴、大丈夫かな。」
「あいつ、いい奴なんだが、ちょっと熱いからな。言い出すと聞かない。」
「ああ、いい奴なんだが、色々勘違い野郎なんだ。」
「うーん、あいつの強運にかけるしかねえなあ。」
心配そうに友人達は、彼の無事をそっと祈りながら、去っていく熱血漢をそうっと見送った。
目が覚めると、波の音が聞こえてきた。
「いて、て…」
そうっと目を開けると、操縦席の機械類が目に入る。はっと顔を上げる。
メルカードの目に真っ青な水たまりが飛び込んできた。水平線には雲が見える。彼は、慌てて首を振り、それからもう一度周りを見る。今度は砂の色が飛び込んできた。波打ち際には、白い波がざざざ…と平和にうち寄せている。
「あれ、ここは…するってえと……。」
メルカードは、軽く首を捻り、それからはっとして、慌てて自分の手を見た。
「おお! オレ生きてるじゃねーか! あれからどうなったんだ!」
メルカードは両手を広げ、ぺたぺたと顔に触る。ひげ一本折れていないらしく、メルカードはほっと安堵した。着陸の衝撃は思ったより小さかったようだ。
「…しっかし、なんで。まあ、いいか。」
まさか、墜落直前にうまく機体が風に乗り、グライダー状態で砂浜に軟着陸したことを、メルカードは知らない。その時、その直前、機体が錐もみ状態で降下したので、メルカードは気絶していたのだった。
ひとまず、下の大陸であることは間違いないようだ。メルカードは忌まわしいが、自分の命を守ってくれた機体から降りた。そして、傷だらけの愛機を見る。メルカードは、その機体に軽く手をかけて、ばつが悪そうに笑った。
「裏切り者なんて言ってごめんな。」
そして、向こう側に広がる水たまりを見る。上の世界からはよく見ていた。そして、それが「海」と呼ばれる存在であることも知っていた。だが、地上からみるとこんな風に見えるのか。
水平線とよばれるものを、こうして見たことはメルカードにはない。
「これが地上で見る海って奴かー! すげー!」
一通り感動し、彼は周りを見る。遠くに街が見える。空から見ていた緑の森も向こうに広がっている。下の大地は、想像以上に大きい。
「うわっ、すげーな! みんなオレの想像以上だ!」
きょろきょろあたりを見回して、彼は歓声をあげる。
「さて、どこから見て回ればいいんだ? とりあえず、この機体を修理するためにも、街に行かなきゃなあ。」
そういい、メルカードは歩き始める。どこにいけばいいのかはよくわからないが、メルカードは立ち止まって考えることができないのだ。砂をざくざく言わせながら、初めて、大地というものを歩き出す。
そんな彼の後ろから、思わぬ救助者が近づいてきているとは知らず、メルカードは広くて長い砂浜を、好奇心と冒険心をもって進んでいた。