プロローグ
Dr.ビシュタルト
屋敷の入り口に男達が立っていた。全員軍人らしく、肩章をつけている。応対に出た執事は、その尋常でない様子にやや怯えながら口を利いた。
「ど、どのようなご用でございましょう。」
肩章からみても、王国騎士団の一員であることは間違いなさそうだ。
「グラント=ビシュタルト子爵はいずこにおられる?」
「だ、旦那様ですか?」
「そうだ。国王より勅令が出ているのだ。これから進めるあるプロジェクトの研究者として、大魔導師であらせられる子爵にぜひとも協力を仰ぎたいとの陛下の仰せでな。」
騎士はばっと命令書を見せる。執事は困惑気味に視線をさまよわせた。騎士の一人が怪しんで、執事をぎらりと睨んだ。
「子爵にとりついでくれぬのか? それとも我々を怪しんでおられるのかな?」
「いっ、いえ、滅相もございません。ただ、子爵様は現在、こちらにはいらっしゃらないのです。いつお帰りになるかもわかりません。」
「何!」
騎士達は血相を変えた。
「ど、どこへ行ったのだ!」
「え、ああ、ル、ルーフィサリアに行くとおっしゃられて……」
「ルーフィサリア! 浮遊大陸か!」
「隊長殿。…浮遊大陸に逃れられてはちとやっかいなことに…」
「うむ。…ビシュタルト子爵は、秘宝の謎にもっとも近くたどり着ける男だという。敵の手に渡してはならぬ。」
部下に言われ、隊長は苦い口振りで言った。
「こうなれば、ルーフィサリアに向かう船と空港を全部押さえるしかあるまい!」
「そうとなれば、早い対応を!」
ばっと騎士達が散り始める。隊長は、すでに振り返りながら、執事に言った。
「失礼した。もし、子爵が帰ってこられたら、すぐに出頭するように伝えておいてもらいたい!」
「はっ、はあ。」
執事はそう答え、足早にかつかつと去っていく騎士達の背中を見送った。そして、ビシュタルトが自作の船で空港に向かったことは言わなくてよかったとも思う。
騎士達の話を継ぎ合わせると、これはどうも不穏だ。あの、変わり者のビシュタルトのこと、すぐに協力することを了承しないかもしれない。そうなったら軟禁されるかもしれないのである。
「だ、旦那様…どうかご無事で。」
執事は、呆然と海を眺めながら、波間にさった主人である子爵の無事を祈った。
「世界が私を呼んでいるーー!」
サー=グラント=ビシュタルトは、突然、そう叫びだした。だが、執事は慣れたもので、軽く肩をすくめながら旦那様のところに足を運ぶ。旦那様は、埃のかぶったトランクを取り出して、ひたすら荷物を詰め回っていた。いきなり旅に出るつもりだろうか。
ビシュタルトは王国の子爵である。元々は浮遊大陸出身の魔導師の名家の家系の出らしいが、執事も詳しいことは知らない。
ビシュタルト子爵の屋敷は海沿いにある。風光明媚だがとんでもない田舎でもある。変わり者の彼が過ごすにはいい場所だが、ビシュタルトはけして人嫌いではない。変わり者で、暗い口調で話したりするが、彼の本性はどちらかというと陽気だ。それに、他人と関わり合うのがかなり好きらしい。
「どうなさったんです? 子爵様。」
「は・か・せ。」
静かな口調で呼び名を訂正しようとする男は、巻き毛の金髪をなでつけた。貴族の癖におしゃれにいっさい気を遣わない彼の髪の毛は、常に寝癖がついている。年齢はいくつぐらいか執事もよく知らない。本人に訊いても「見てわからんか?」と聞き返されるのがおちだ。だから、執事は、とりあえず彼のことを五十歳以上七十歳未満という非常に幅の広い年代層で把握することにした。
ビシュタルトは、有名な魔導師だ。この国の魔法技術の発展に貢献した人物である。魔導師にはよくあることらしいが、力の強い魔導師は、魔力の影響からか、その肉体の老化がきわめて遅いことがあるという。おそらくビシュタルトの年齢がわからないのも、彼が大魔導師である証拠なのだろう。
顔自身は割と整ってはいるのだ。貴族然とした上品なつくりのすっきりした顔立ち。ただ、鋭いが何を考えているのかわからない目と常に怪しげにゆるんでいる口元が、彼に不穏な空気を与えているだけなのである。おまけにこの男は外見にこだわらない。自分の見目形がよかろうがわるかろうが、あまり関係ないことなのかもしれない。
普通魔導師はローブに杖がオードソックスな格好であり、国の中央で働く魔導師達もそういった姿をしている。ところが、ビシュタルトはその姿が嫌いらしい。彼は常に白衣に曲がったネクタイでうろついているのだった。
それもその筈、ビシュタルトは、実は科学者でもあるのである。というよりは、本人の科学への傾倒ぶりが度を超しているといった方がいいのかもしれない。何はともあれ、ビシュタルトは、魔導師としての名声があまりにも高いくせに、本人は科学至上主義で、魔法など手品の延長ぐらいにしか思っていないらしかった。
「博士は呼びにくいので、旦那様でいいですか?」
何度となく繰り返された問答を繰り返しながら、執事は自分も気が長くなったなあと思う。
「仕方がない。私は博士と呼ばれたいのに。」
「で、どこに行くつもりですか?」
執事がきくと、ビシュタルトは手元にあった謎の機械を指さした。
「このたび、浮遊大陸で科学者達の会議および慰安旅行があるという情報をキャッチした。私もそれに行きたい。そして、これを発表するのだ。」
「いきなりですか? 全く思いついたらすぐ行動しますね。旦那様は。…それより、何ですか、これ。」
執事は、プレス機のような無骨な四角い箱のようなものを見る。何をするものなのかは、到底予想できない。
「見てわからんか?」
「はい、全然わかりません。」
「お前は洞察力というものが足りないらしい。これはだな、魚を三枚おろしにする自動三枚おろしマシーンなのだ! 入れるだけで三秒で見事に三枚おろし! ものすごく画期的だ! さすが天才の私だけはある!」
(見た目でわかるかよ! ただの箱に見えるぞ! しかも、三枚おろしかよ!)
熱く拳を握ってそう断言したビシュタルトに、心の中で冷たくつっこみを入れた執事は、大きくため息をついた。
「ずーっと謎だったんですが、なんで、そんなに科学が好きなんです? 魔導師なんだから魔法だけでいいじゃないですか?」
「魔法では味わえないものがある。魔法は味気ないのだ。物足りない。」
ぽつり、とビシュタルトは言った。
「といいますと?」
と訊いて執事は後悔した。突如、ビシュタルトが振り返ったからだ。
「知らぬなら教えてやろう! 科学とは、科学とは…!」
容貌だけは繊細な作りだが、その目に輝くのは、度を超した科学への探求心。それを人は狂気と呼ぶ。
ばさあっと、彼は白衣を翻す。魔導師なら薬草の匂いでもさせていればいいのに、そこから漂うのは紛れもなく機械油の匂いだ。
「科学への探求とはッ! そう、無限のロマンなのだ!」
そう叫ぶように断言しておいてから、ビシュタルトは、「そういうことだ。」と急にさめた声で言った。
「…まあ、そういうことで、私は科学にロマンを抱いているのだな。」
「そういうこと、という言葉でどれだけの事情を割愛したのですか?」
「そのようなことは気にしなくてもいい。なぜなら、他人に話したところで理解されない。」
(だったら言うなよ。)
とも思ってしまうが、訊いた自分も馬鹿だった。執事はあきらめて肩をすくめた。
「それで、どこに行かれるのですか?」
「うむ、ひとまずは浮遊大陸のルーフィサリアに行こうと思うのだ。あそこで他の科学者達が集まるらしい。わくわくするな。」
「ルーフィサリアというと旦那様の故郷ですね。」
「…そうか、そういえば故郷だ。」
素で忘れていたのか、この男は。ついついそう毒づいてしまい、執事は、ため息をつく。
「わかりました。どうせ、止めても行くんでしょうし、どうぞいってらっしゃいませ。」
「うむ、よき理解者をもった私は幸せ者だな。」
本当は、このマッドサイエンティストからしばらく解放されたかっただけなのだが、ビシュタルトの方はそうは取らなかったらしい。
ひとまず、屋敷近くの船着き場に出た。そこには、ビシュタルトが作った自家用の船がある。三人ほどが生活できそうなその船は、しばらく使っていないので、ところどころがさびていた。
「…旦那様、それはメンテナンスがすんでおりませんよ。」
執事は、この船で出航するのは命知らずだと思った。それほど、船がぼろいのである。しかし、ビシュタルトは平気な顔で言った。
「機械は、壊れたら殴れば動くのが一番いい。動かなくなったら殴ろう。魔法だとそうはいかんからな。」
「それは科学者としての発言として間違っております。」
あきれながらいう執事にビシュタルトは、珍しくにやりと笑いかけた。
「間違ってなどいない。殴れば動くのは真理だ。」
「そ、そうですか…」
ついていけなくなった彼に、ビシュタルトは背を向けながら、こういった。
「まあ、何とかなるだろう。」
そういって出航したのはあるいは間違いであったか。今、ビシュタルトはそう思いながら、たゆたう海面を見ていた。
「うーむ、どこで間違ったのか。ここで難破する予定はなかったのだがなあ。」
出発してから数時間後、急にエンジンがとまって動かなくなったのである。宣言通り殴ってみたが、それでも動かなかった。修理しようとしてみたが、すでに本体がオーバーヒートしたらしく、激しく焼き付いて部品が使い物にならなくなっていた。
「食料はあと二日分か。」
ビシュタルトは、慌てることもなく、ごく冷静に食料の数を確かめながら言った。
「まあいい。二日たって救助が来なかったら、秘密裏に制作していた専用のモータボートを使うか。」
海にゆらゆら浮かぶ船の上で、ビシュタルトはそういって少しだけ微笑んだ。
ルーフィサリアの大魔導師、王国の最後の切り札とも言われたビシュタルト子爵は、こうして波間を漂うことになった。王国が彼を探していることも知らず、世界で何が起こっているかもまだ知らない。
そして、彼を助けて秘宝の謎を解くかもしれない存在がやってくることも、未だ彼も王国の騎士達も、誰も知らない。