プロローグ
ジャン=ジャッシュ
「おう、お前、今日から船に乗れ。」
お頭のリー=ヴァルロスは突然そう言った。二メートル近いでかい身体に、ひとまず子供には泣かれそうな強面、それに、ひたすら人の良さそうな笑みを浮かべている。それが、リー=ヴァルロスと呼ばれる、この辺一帯の暗黒社会の元締めだ。
彼の収入のほとんどは、浮遊大陸と大地の間での密輸とそしていくらかのばくちである。しかし、他の暗黒組織とは違い、彼の密輸は薬草や機械部品などに限られ、武器や麻薬などの危険なものの密輸はしない。ばくちにしても、素人から巻き上げるようなことはしない。困った人には手をさしのべ、間違ったことは断罪する。常に弱いものの味方であれというのが、リー=ヴァルロスの口癖だ。 「…あれ? 聞こえなかったのか? ジャン=ジャッシュ。」
青年が返事をしないので、ヴァルロスは、きょとんとして首を傾げた。あまりにも話の内容が、唐突だったので、青年は話の内容を理解できていなかった。
青年、ジャン=ジャッシュは、短く刈った髪の毛を手でぐしゃぐしゃと乱しながら、とまどったような顔をした。ひょろりと高い背のジャッシュは、少し痩せていて、どことなく頼りなげな印象すらある。目つきはそれなりに鋭いが、どこか悪になりきれないところがあるのは、その目を見てもすぐわかる。親分にならってか、迫力を出そうとあごに無精ひげを生やしてみたものの、あまり効果は上がっていない。
ジャン=ジャッシュという名前は、ヴァルロスがつけた。ヴァルロスの「リー」もそうだが、ジャッシュの「ジャン」もあだ名で本名ではない。田舎で独り身になったジャッシュが街にきたとき、一番最初に助けてくれたのがヴァルロスだった。彼はジャッシュに名前を与え、そして、ここまで養ってくれたのだ。
「い、いや、聞こえてますけど、親分。」
「だったら今すぐ乗ってこい。これな、お前の船のエンジンのキー。」
ヴァルロスは、にっこり笑うと手に持っていた鍵をジャッシュに投げてよこした。
「エンジンキー……って……」
船に乗れ、ということは、おそらく浮遊大陸とをつなぐ密輸船に乗れということだ。しかも、鍵をくれたと言うことは、きっと「船」ごとお前にやるという意味なのだ。それをようやく把握したジャッシュは、驚いて親分がもたれている机を両手でバンッとたたいた。
「え! あ、いや! いいんですか! 親分!」
ヴァルロスに迫ると、彼は何でもないような顔をしてへろりと笑う。
「あーいーぞ。」
「いーぞって、オレ、まだ駆け出しですよ。」
「うん、オレはお前が気に入ってるから、船をくれてやるんだ。」
「その話おかしくないですか?」
「何がー? オレは真剣だぜ、ジャッシュ。」
ヴァルロスの真剣とは無縁な顔は、相変わらずいい加減そうだ。ジャッシュは信用したものかどうか悩んでしまう。
「ほら! これで今日からお前も立派な密輸商人だー!」
あんまり立派な感じはしないが、ひとまずは独り立ちさせてくれるということだ。船をもらった上に、直々に密輸をやってくれと頼まれたと言うことは、給料だって格段にあがるのだ。それは、一人前と認められた証でもあり、また、期待されているということでもある。
「あ、ありがとうございます! 親分ッ!」
「ま、ま、そうそうかしこまんなって! お前もそろそろ独り立ちしてもいい頃だ。ひとまず、浮遊大陸の村に行って、薬草積んで戻ってこい。それが初仕事だな。」
「ありがとうございます! 親分ッ!」
ジャッシュはもう一度いい、慌ててキーを確かめる。それをまじまじと見ている内に喜びが胸にわき上がり、思わず笑みがこぼれ落ちた。
「じゃあ、いってこい!」
「わかりました! 親分!」
ジャッシュはそういうと、慌てて駆けだした。
「やった、やったぜ!」
知らず歓声が上がる。
「これで、オレも、一国一城の主だ!」
ちょっと行き過ぎたが、親分に認められたのは確かだ。ジャッシュはうれしくなって、小躍りしながら外に出た。
そこには旧式だが、彼専用となる飛行船が用意されている。海で乗る船の形に近く、帆もついているなかなか格好のいいものだ。ジャッシュはそれが自分のものになると思うと、ここで叫びだしたいような気分になっていた。
「よーし! 今日から頑張って密輸に励むぞ! ジャン=ジャッシュ!」
ヴァルロスは大あくびをしていた。隣では猫が毛繕いをしている。それで遊ぼうとでも思ったのか、彼が手を伸ばしかけたとき、急に二、三人の子分が、慌てて彼の部屋に入ってきた。みんな血相を変えていて、何か緊急事態が起こったとでもいったような様子だった。
「なんでえ、お前達。」
「親分! ジャッシュに船なんかやっちまってよかったんですか! あいつすげーお人好しですぜ。いつか騙されて船とられるんじゃないかと、オレ達心配で心配で。」
親分が親分だけに、手下も手下だ。みんな人の良さそうな顔をして、ジャッシュを本気で心配している。
「ああ、あいつ、賊とかきてもちゃんと話し合えるかなあ。」
「ああ、あいつ、他の商人に騙されてふっかけられないかなあ。」
そんなことを言い合っている子分達を見て、ヴァルロスは簡単に言った。
「お前ら心配しすぎだぞ。大体オレが船を奴にくれてやったのは、あいつがお人好しだからだ。」
「おやぶーん!」
無責任な発言を非難したつもりだったが、ヴァルロスは悪びれない。
「オレ、ふさふさしたものとかわいいものと、ちいさいものと、お人好しな奴が好きなんだよなあ。うおー、かわいいぜ。マリアン!」
ヴァルロスは、近くにいた猫をいきなり捕まえて抱きしめた。そのまま、彼はぎゅうぎゅう猫を抱きしめてほおずりする。おそらく、マリアンという名前らしい猫の方は迷惑そうで、暴れて早く彼の手から逃れようとしている。
「理由になっていませんぜ。」
その様子にも理由にもあきれながら子分が肩をすくめる。だが、ヴァルロスは大まじめに言った。
「この前から王国の連中の動きがおかしいそうじゃねえか。村をおそったって言う噂もきいたぜ。」
「ああ、そういう噂は…。しかし箝口令がひかれていますからね。知っていてもしゃべったら、首がいくつあってもたりませんぜ。」
「だろー。だとしたら、なんか世の中で起こり始めてるって事だ。あそこの王国は、今までそこまで無茶なことはしなかったもんな。何かが始まってるんだよ。もしかしたら、オレ達にとっても生きにくい時代がくるかもな。」
ヴァルロスの言葉に、子分は息をのむ。だが、彼は何でもないような口調で言った。
「こんな世の中だからこそ、世の中にはジャッシュみたいな野郎が大切なんじゃねえかなあ。…だから、オレはあいつに船を持たせたんだ。」
ヴァルロスの手から、猫がようやく解放されて、とっとと逃げていった。
「オレはあいつの目が好きだ。あんな目をした奴は、間違ったことはしねえ。だから、あいつに目をかけていた。ま、ちょっと押しに欠けるがな。」
ヴァルロスは楽しそうに笑いながら言った。
「意外にオレ達の想像を超えて、とんでもないことをしでかすかもしれねえぜ。ジャッシュの奴は。」
外では、船のエンジンが始動する音が聞こえていた。ジャッシュがそろそろ試験飛行にでるのかもしれない